ママ私が生まれた日の空はどんな色?

こんにちは。日曜日更新担当のhachiです。

パソコンが壊れたり、体調が壊れたりと、すったもんだの日々でした。 更新が遅くなってすみません。 ただいま携帯電話でこまこまと文章を綴っております。 充実したページ作りにならないかもしれませんが、何卒ご了承ください。

さて、今週テーマ。 『母の日』です。

私は母親関連の話になるとめっぽう弱い(感情がこもりすぎる)ので、 綴りきれないこの気持ちをなんとかお手頃サイズにまとめます。

前にも書いた通り、私は転勤族で、なかなか固定の友人ができなかったので、 私にとっては家族が全てでした。 とくに私は母親っ子で、今も母が大好きなのですが、よくぶつかるし、喧嘩もします。 反抗期の頃だって、たくさん困らせたり傷つけたりしました。愛情がこんなにあるのに、どうして優しくなれないのか、母の気持ちを受け取れないのか、自分が嫌になることも、涙がでることも、今でもあるくらいです。

私は何歳になったら、母をきちんと受け止められるほどの大人になれるのでしょう。

困らせたくないのに、悲しませたくないのに、傷つけたくないのに、 うまくいかないときが、まだあります。

『人に優しくされたとき、 自分のちいささを知りました』 モンゴル800の「あなたに」の歌詞です。

母の日にはいつもこの歌詞を思い出します。 母は、私が知る世界で一番優しくて、 とてもかわいいひとです。 大袈裟ではなく、母のやさしさで、愛で、 私は今まで生きてきました。

中学生の頃から親元をはなれ、祖母の元で幼いながら、寂しいながら学校に通い育った母。 高校生のときから交際している父と結婚した母。 すぐに単身赴任で、父とはあまり一緒に暮らせていない母。 機械に弱い母。甘いものが好きな母。 旅行が好きな母、英語を勉強している母。 酒癖が悪く、でもとてもおいしそうにお酒を飲む母。 どんなことにもまっすぐ純粋に向き合う母。

私が次女として生まれたあの日、
私が病気を患って手術をした日、
私が家を飛び出し帰らなかったあの日、
反抗期で作ってくれたご飯に手をつけなかったあの日、

私が仕事を辞めると言った日、
私と2人暮らしだったなか、私が東京にいくと聞いたあの日

母はどんな気持ちだったのだろう。

よくこういうことを考えます。
考えたところで、母にしかわからないし、 母も本当のことは言わないでしょう。

私は母がいない世界を知らず、 母に守られてずっと行きてきました。 これから時間が経って、いつの日か 母がいない世界がやってきます。 そんなときの自分はどうなっちゃうのか、 大丈夫なのか、今から心配です。

でも、そんな心配していても、 毎日時間はすぎるし、何もできることはないので、ただしっかりと母というひとを 愛し、接し、関わり、大事にしたいなと、 少しでも悔いのない親子の時間になればいいなと思います。

照れ臭い投稿になっちゃいました!きゃー!

ちなみに、今日私は母に、カーネーションの花を 贈りました。後日もうひとつ特別なプレゼントを贈る予定です。