震災から半年後にボランティアに行って、観た世界

金曜日担当、千葉在住ファッション通販サイトの物流部門で働く27歳のippeiです。

3.11

当時は、まだ大学生だった僕らも今や社会人となり、よりより社会への歯車となるべく、日々奮闘中の毎日です。みな違う業界で働くGATメンバーですが、それぞれの思い等を聞いてみたいと思い、このテーマにしました。同世代の素直な声に耳を傾ける事で、今一度、考え、行動するきっかけになればと思います。

という事で、今日もはじめます。

2011年3月11日。実は、5年前のこの日は、翌日3月12日に控えた九州新幹線開通前日であった。当時、福岡のTV局のカメラマンのアシスタントのアルバイトをしていた自分は、中継の準備をしに、泊りがけで昼過ぎから鹿児島に行こうと大学を出る最中に地震は起きたのだ。もちろん、福岡なので、地震は全く感じなかったけれど、学校の職員の方が、東北で大きい地震があったみたいよ。と教えてくれた。

その後、鹿児島のホテルに着き、TVを眺めていたら、飛び込んでくるのは、迫り来る津波の映像。言葉を失い、ただただなにもできない自分に無力感を感じた事を覚えている。その時に、決めたんだ。必ず被災地に行って、ボランティをして、この状況を自分の身体で感じてくる事を。

それから半年後、2011年9月11日に学校のプロジェクトで実際に気仙沼でボランティアに参加した。その時のブログが下記である。
ぼくの見た気仙沼~非日常な日常で~

改めて、読み返してみて印象的だった箇所を抜粋する。

本当に毎日毎日ドラマがあったんだ。
今回のような、被災され、日常では考えられないほどの光景を目の当たりにし、精神的にも体力的にも予想以上の衝撃を知らず知らずのうちに各々が受け、通常じゃ考えられないような行動をする者も何人かいた。

そのような、非常時に緊急時に『自分』をしっかり保つことの重要性!!をすごく感じた。学んだ。今回の気仙沼ボランティアだった。
まずは、自分の心と向き合い『感じること』。
そして、いま目の前で起きてることを感じ、自分に求められてる、自分にしか出来ないことを必死に探し、『行動すること』。
だからこそ、どんな時でも、自分で判断し、責任の取れるよう、常に自分の意見、信念は持ってなくちゃいけない。
そう、再認識できたことはすごく大きかった。

僕たち、たった6日間の被災地滞在だけでも異常な行動を引き起こしてしまう人がいるくらいの環境で、今も気仙沼の人々は毎日を生きている。

家を流されてもなお、自分に何かできないかと、遠方から来られるボランティアの人たちを車で現地まで送迎するボランティアをしている唐桑で出会った60代ぐらいのおじさんに言われた言葉が忘れられない。

「あんたら、福岡とか遠いとこからよお来たね。本当に嬉しいし、ボランティアの人たちからいつも元気をもらっているんだよ。ありがとう。『無関心』が一番良くないんだ。現地に来て、自分の目で見てみる事が大切。何か感じて、自分たちの行動が少しでも変わってもらえたら、それだけで復興に繋がるんだよ」

3.11を忘れない。この気持ちを持ちながら、まずは自分らしい人生が送れるように、日々笑顔でどんな事も頑張っていきたいと思います。
329144_180707215340922_1432740099_o