再現性のない体験は、人間をより深い場所に連れていってくれる

ラニカイビーチ

「なんでハワイなの?」

長期休暇でハワイに行く、と言うと、友人はつまらなそうな顔をしました。

「お前ならもっと、普通の人が行かなそうなところに行きそうなのに」

でも、違うんです。ハワイで体験したいことがあったのです。

大学生の頃までは、ぼくにとって旅行といえば、名所・旧跡を忙しく回るだけのものでした。とにかくひとつでも多くの名所を巡るために、町を走り回っていたこともあります。

そしたら、ベルギーのアントワープを訪ねたとき、ホテルのおばちゃんに怒られました。

「あなた、どうしてアントワープにたったの一泊しかしないの!この町には素晴らしい美術館がいくつもあるし、味わうべきものはたくさんあるのよ?一日でこの町の何がわかるっていうのよ!最低でも3泊は必要よ。まったく、typical Japanese(典型的な日本人)なんだから!」

なんで宿泊客であるぼくが怒られなきゃならんのだ、と思いつつも、その言葉を受けてから、あるいは旅行を仕事にするようになってから、考え方は随分変わりました。その土地で何を見るか、よりも、その土地で何をするか、その土地をどう味わうか、ということを意識するようになりました。人と同じものを見る「観光」旅行よりも、自分だけの思い出ができる「体験」旅行がしたくなってきました。

昨年の長期休暇では、ロサンゼルスからサンディエゴまで、南カリフォルニアを自転車で旅しました。あれは最高の「体験」でした。観光なんてロクにしていませんが、最高だったのです。小さな町の自転車屋さんで修理してもらった想い出とか、名もなき砂浜で思いがけず見た夕陽の美しさとか、気付いたら陸軍基地に入ってしまい、困っていたら通りすがりのタクシーの運ちゃんが助けてくれたこととか、そんな数々の体験がぼくにとっての旅の価値です。再現性のない体験は、人間をより深い場所に連れていってくれる気がします。

自転車を修理してくれたおじさんに和菓子をプレゼント

大学生の頃、村上春樹を貪るように読んだ時期がありました。『走ることについて語るときに僕の語ること』に出逢ったのもその頃です。

  

気候の良いハワイでランニングをして、文章を書く。そんな彼のライフスタイルに無性に憧れました。でも、いきなりハワイへ行くのは難しいから、まずは疑似体験をしてみようと思い、沖縄に行ったのが2年前の長期休暇でした。

観光客で賑わう那覇ではなく、沖縄中部の北谷町へ。海沿いのホテルに4連泊しました。毎日10km走ることを目標にして、朝6時半くらいから、静かな海沿いの道をランニングして、シャワーを浴びてから朝食を取り、その後車で気に入ったカフェに行って、ボサノヴァやクラシックを聴きながら文章を書くという生活を4日間繰り返しました。それが、実に最高でした。気に入った場所で書く文章は、質も高まることに気付きました。将来は絶対にこういうライフスタイルを送りたいと強く思いました。

そんな過程があって、ようやくハワイへ行くことができました。母と一緒だったということもあり、ひとりきりで物事を考える時間はそんなに多く取れませんでしたが、それでも、「ハワイでランニングをして、文章を書く」という目的は果たせました。一番気持ち良かったのは、ホノルル郊外からワイキキビーチまで、約10kmの道のりを走ったときでした。なんてことのない道でしたが、走っているときの幸福感は、何物にも代えがたいものでした。

  

信号を待っている間なんて、シャイな自分が、歌いながら陽気にステップを踏んでいるのです。東京ではそんなことしません。でも、ハワイでランニングしている人を眺めていたら、みんなそうしていたのです。ノリノリの人々を見ていたら、自然と真似したくなってきて、身体は勝手にステップを踏んでいました。恥ずかしさなんてありません。ここはハワイなんですから。「その土地を味わう」って、こういうことなのかな。「郷に入っては郷に従え」的な窮屈さはなく、もっと自然な形で、その土地に溶け込むことができました。

日本には便利さ・快適さがそろっているので、足りないものに目を向ければどこの国に行っても不幸になりますが、「今ここにあるもの」「その土地でしか味わえないもの」に目を向ければ、旅の楽しさは増すはずです。それは日常でも言えること。旅が教えてくれることは多いです。

まとまりのない文章になりましたが、ハワイは今後も訪ねたい場所になりました。海の美しさには心を洗われたし、トレイルランも気持ちよかった。今度はオアフ島だけでなく、ハワイ島やカウアイ島、マウイ島の自然も味わってみたいです。きっとまたランニングをしにやってきます。

 

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今週のテーマ「食のこだわり」

幸せかどうか。それが行動の基準にあります。

これまで何度も自分に問いかけたのは、「お前はお金持ちになりたいのか、それとも幸せになりたいのか」という質問。

お金持ちの人が、必ずしも幸せとは限らないことを知って、だったらお金があろうがなかろうが、幸せを感じられる生き方をしたい、と思うようになりました。

じゃあ、幸せって何なのか。

人それぞれで定義は異なるに決まっているけど、ぼくの場合は、思う存分ランニングをして、書きたい文章を書いて、大好きな友達と、おいしいものを食べて笑っていられたら、幸せなのです。

おいしいものには、人を幸せにする力があります。そして、身近な人が一生懸命作った料理だとしたら、なお幸せを感じられると思います。

世の女性たちは、よくも毎日手の込んだお弁当を作れるものです。「適当だよ」「残り物だよ」と彼女たちは言うけれど、それでも毎日中身が異なっていて、すごいなあと思ってしまいます。Instagramなどでアップされたお弁当や手作り料理を見ていると、これを食べられる人を羨ましく感じます。

母は浪人時代まで毎日お弁当を作ってくれました。外食しかしなくなった今、本当にそのときのありがたみを感じます。手料理を毎食味わえるとは、なんという贅沢なのか、と。

人の体は、食べたものでできています。だから、何を食べるかというのは、とても大切なこと。アイデアを生み出す脳も、栄養が作り上げたもの。同じ外食にしても、添加物の多いコンビニ飯と、ちゃんと料理人が作るご飯では、脳への影響もきっと異るはず。だから、特別な贅沢はしなくとも、そこだけはお金を惜しまないようにしています。きっとぼくはアイデアで稼ぐことになるから、そこへはきちんと投資しなくてはいけません。

そんなことが食へのこだわりでしょうか。早く外食ばかりの生活から卒業したいです。

 

ハワイで食べたものたち