チョコレートの記憶

「バレンタインデーにチョコをあげる習慣なんか、なくなればいいのよ」

と話す女性がいた。

「穏やかじゃないですね」

「私、誕生日が2月14日なのよ。普通は私がお祝いされる日じゃない?それなのに職場には女性が数えるほどしかいないから、男性社員たちがみんな寄ってくるのよ。『チョコくださいよ〜』って。うるさいわよあんたたち!って。なんで誕生日なのに私があげなきゃいけないのよ!」

「あはは!面白いですね!笑」

「面白くないわよ!まったく。あなたはどうなのよ? たくさんチョコもらうでしょう」

「そんなことないですよ」

初めてチョコをもらったのは高校1年生のときだ。今以上に恥ずかしがり屋だったぼくは、放課後に違うクラスの女の子から渡されて、なんと言えばいいのかもわからず、逃げるように去ってしまった。

でも帰ってから食べたそのチョコは信じられないくらいおいしくて、「うわ、ロイズの生チョコよりうまい」と、とてもびっくりしたのを覚えている。後日、「おいしかった」の一言でも言えれば良かったのに、当時はそんな余裕すらなかった。

ひどいことをした罰なのか、その後、ぼくの身に嬉しいサプライズは二度と起きていないから、今では良い思い出になっている。

 

先日、郷土菓子研究社の林周作くんと飲んだ際、お土産にリトアニアのチョコレートをいただいた。新宿MSビルで開催されたチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」でも出店していた「チョコレート ナイーブ」というブランドのもので、「ポルチーニ味」というから驚きだった。ポルチーニ茸は「キノコの王様」と呼ばれる香り高いキノコだ。確かにポルチーニの香りがしたが、味はおいしかった。変わり種をいただけて嬉しかった。

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そしてその翌日、ぼくも世界の最新チョコレート事情を知りたいと思い、「サロン・デュ・ショコラ」に足を運んだ。

色々と試食をしながら混雑する会場を歩いていたら、奥の方で見覚えのある瓶を見つけた。昨年フランスのアルザス地方を旅した際に出会った、「世界一のコンフィチュール」と称される「クリスティーヌ・フェルベール」の商品だった。コンフィチュールというのはジャムのようなものなのだが、ひとつで約2500円もした。現地でなら3分の1の価格で売られていることを知っているから、とても買えなかった。

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スタッフの方に、「フェルベールさんも日本に来ているんですか?」と聞いたら、「あちらにいますよ」と。すぐ近くに座っていたけど、誰も気付いていなかった。でもぼくは何度も雑誌でその容姿を拝見していたので、すぐにフェルベールさんとわかった。はて、彼女の横にいるのは、誰だ?

その方は、誰もが知るチョコレートブランド「ジャン=ポール・エヴァン」の、創業者本人だった。これまたみんな気付いておらず、チョコ自体に夢中の女性たちは素通りしていた。ということで、簡単に記念写真を撮ることができた。

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クリスティーヌ・フェルベールさん(左)、ジャン=ポール・エヴァンさん(右)

それから、チョコといえば昨年知り合ったのが「感動のトリュフ」といわれる京都北白川 チョコレート菓房 牟尼庵(むにあん)の横井さん。小さな会社なので、彼女はチョコ作りからマーケティングに店頭販売にと、すべてをこなす。一度チョコをいただいたことがあるが、本当に贅沢な味わいだった。先日飲んだ際もチョコの裏側の話が聞けて、とても面白かった。スペシャリストの話はたまらない。今までは京都と大阪でしか買えなかったが、昨年から松屋銀座の地下食品売り場にもオープンしているので、ぜひ一度食べてみてほしい。

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製法だとか、難しいことは正直よくわからないけど、無数にあるチョコの中から、自分の好きな味を見つけたい。おいしいと「言われている」チョコではなく、おいしいと「思う」チョコを。口コミや情報に流されず、偽りなく好きな味を。旅をして、お気に入りの風景を見つけるように。

そんなことを考えていたら、高校生のときにもらった手作りのチョコが、どんな高級なチョコレートよりも価値があったんじゃないかと思えてきた。再現性がなく、サロン・デュ・ショコラでも手に入らないチョコレートだけど、記憶の中でなら、ぼくはいつでも味わうことができる。