せかいの色

DSC05675

何もかもが色褪せて見えて、泣き暮らす日々が続いた。

仕事をして、お金がないので毎日惰性で自炊をして泣いて、浴室でシャワーを浴びながら泣いて、夜はあまり寝付けず、悪夢を見て目を覚まし、仕事をして、泣いて、食べて、泣いて、布団にもぐって、の繰り返しだった。

生きることが好きで死ぬのを恐れていたはずなのに、ふとした瞬間に生への執着をなくしてしまう最近の自分が悲しくて泣いた。気を抜くと、自分が息を止めてしまいそうで怖かった。なくしてしまった大事な人のことを毎日考えて、彼女が残した言葉を何度も何度も反芻した。彼女の考えていたことがようやくわかったような気がして、何もできなかった自分が許せなくて泣いた。そんな風に自己憐憫の只中にいる自分の狡さが気持ち悪くてまた泣いた。

負の連鎖だった。自信をなくした自分が惨めでさらに自信をなくす。卑屈になることが人付き合いにも悪影響を及ぼして、さらに卑屈になる。頑張りたいのに頑張れない。こうあらねば、と考えていた理想像からますます遠ざかる。今まで楽しい、楽しそう、と思っていたことが何もかも嫌に思えて八方塞がりでどこにも行けず、始終胸が苦しくて、ただ立ち尽くした。

どうして突然こうなってしまったのか直接的な原因はわからず、けれども自分が何に苦しんでいるのかはよくわかっていた。苦しみの元を取り去ることは難しく、できることは自分の考え方を変えることぐらいしかないと思った。けれども考えなんていうものはそう簡単には変わらず、しんと静まり返った部屋に一人でいると壊れそうだった。

会社でパソコンに向かいながら、突然ほとんど息ができなくなって、ああもうだめだと立ち上がってトイレに駆けこんで泣いた。死にたい、という言葉が私の頭の中を揺さぶってそれが悲しくて泣いた。私は生きたいのに死にたい。生きなければいけないのに死にたい。なんで生きなければいけないんだろう。そんなことをぐるぐる考えていた十五分の間に、祖父が亡くなった。

宮城を訪れたのは六年ぶりぐらいだったか。祖母は一回り小さくなっていて、幼かった従兄弟は中学生と大学生になっていた。家族とは二ヶ月ぶりに会った。離れて暮らしていると実感する。皆少しずつ老いていく。生きたくても死にたくても、毎日が楽しくても苦しくても。

母親に、何に苦しんでいるのかを打ち明けてみた。きっと一生誰にも言えないと思っていたけれど、一言口にすると、堰をきったように言葉が溢れでた。人に話すと少しだけ客観視できたような気がした。

東京へ戻ってきて、このままじゃいけない、と思った。なんとかしないと、と。ネイルをしたり、髪を切ったり、美味しいものを食べたり、マッサージに行ったり、お休みをいただいて温泉に行ったり、最近はそんな儀式を重ねて気持ちを切り替えてあげようと試みている。以前の自分はもうこの世にいない、ぐらいの心持ちでいかないと断ち切れないような気がする。

環境も色々と変わり、楽しいと思える時間が少しずつ増えてきた。目を腫らすこともなくなった。私の世界がもっと色づきますように、と祈りながら丁寧に丁寧に一日を過ごせるようになった。必ず老いて死が訪れるなら、泣いていないで笑っていよう、と今は思う。