ならんですわって

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隣で眠る人の体温を感じながら、今日もこうして平和な夜を迎えることができてよかった、と思う。どうか明日も同じ夜がやってきますように、と。

終わりは必ず訪れるという事実がいつも頭を離れなくて泣きそうになる。今のこの一瞬が途方もなく尊いものに思える。終わりに直面するのは数十年後なのか、はたまた明日なのか。一人で眠る夜はいやだから、できれば私が先に骨になりたい。淡い悲しみに沈みながらそっと目を閉じて、聞こえる小さな寝息に安心する。少なくとも今夜は、私たちの心臓は昨日と同じように動いている。

久しぶりのデートの待ち合わせ前に感じる高揚とか、夜通し電話で話してほっこりあたたまる気持ちとか、そういう類のものを手放したことを後悔していない。きっと人生はあっという間に終わってしまうから、残された時間をできるだけ近くで過ごしたい。暇さえあればいつも一緒にいるから、もう会話の種を見つけるのが大変なぐらいだけれど、それはとても贅沢な悩みだ。

二人で暮らし始めて最初によかったと思ったことは、キャンプへ出かけるのが楽になったこと。今まではお互いの家から大荷物を持ち寄らなければいけなかった。IKEAで大きな棚を一つ買い、新居で一緒に組み立てて、すべてのキャンプ道具をぎゅうぎゅうに詰め込んだ。私のお気に入りの棚。部屋に、「私たちのもの」が少しずつ増えていくことが嬉しい。

何時に家に着く?っていつもしつこく聞いてごめんなさい。お味噌汁もおかずも、まだ香りが逃げずあたたまった状態で食べてほしくて、ちょうどいいタイミングで火を入れたいというわがままなの。タイミングを見誤って、帰ってきてもまだごはんができていない、なんていうこともよくあるけれど。少なくはない量のごはんをぺろりとたいらげてくれる姿を眺めていると元気になれる気がする。

調理の音だけが響いていた部屋が、がちゃっと鍵のあく音をきっかけにして心地よくゆるむ瞬間が好き。実家でも、父親が仕事から帰ってきた途端に家のあたたかさが増したなあ、なんて思い出す。「おかえり」とキッチンから顔を覗かせる瞬間が、私の一日の幸せのピークかもしれない。

深夜、ソファに並んで座り、缶チューハイを片手にだらっとテレビを観る時間が、そんなごくごく普通の日常が愛おしい。一緒にいればそれはもう色々なことがあるけれど、二人でいるこの部屋を心地よいと感じられるかぎり、何が起きたって平気だと思う。