ありがとう

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明けましておめでとうございます!yotaです。

久しぶりの更新になってしまいましたが、この投稿をもって、GOOD AT TOKYOを卒業します。

この機会に、これまでのことを振り返ってみます。

GATと出逢ったのは、Shioriがきっかけでした。ぼくは彼女がプライベートで書いていた食べ物ブログのファンでした。これまで様々な文章にふれてきたけど、彼女の文章力は同世代ではズバ抜けていて、今でもいつか本を出して欲しいと切に願っています。

Shioriと初めて会った少しあとに、「GATというメディアで文章を書く」という話を聞きました。彼女に誘われてGATのオープニングパーティーに遊びに行ったときに、メンバーのみんながすごく魅力的な存在に見えて、憧れていたら、後日しおりがリーダーのippeiを紹介してくれて、彼の誘いでメンバーになりました。ちょうど一年くらい前のことです。

メンバーはみんな個性的で、業種も様々。でも人の良さと好奇心が旺盛なところは共通していて、月に一度の飲み会はいつも楽しかったです。最近は集まれていないけど、またみんなの色んな話を聴きたいなと思います。

肝心の、文章の方。最初の方は一生懸命書いて、更新を続けていたけど、昨年の後半はまったく更新せずに、時間だけが過ぎていきました。

「あれ、書くのは好きなハズなんだけどな」

「ここで書くためにメンバーになったハズなのに」

と、そのときは自分の中で何が起きているのかよくわかりませんでした。書かなくなったのか、書けなくなったのか、書きたくなくなったのか。うまく説明することはできないけれど、徐々に芽を出してきたのは、「自分のメディアを持ちたい」という想いでした。

GATに入ったときは、「やったー!ついに『自分たちのメディア』が持てた」と思いました。

だけど、途中から、「自分のメディア」を持ちたいと思い始めました。その分岐点にあったのは、ある種の「手応え」でした。

書いた記事のうち、読み返すと消したくなるような文章もあるけれど、いくつかの文章は、自分でも満足ができて、それを読んで喜んでくれる人がいたときに、素直に嬉しかったんです。

少し挙げるとしたら、これらの記事です。

登山家・栗城史多さんから預かった「秘密の封筒」の中身とは

もうひとつの時間 

3万7000円の傘を買った話

そうした経験が少しずつ重なっていったときに、文章をサイトの方向性に合わせるよりも、個人的な想いに合わせていきたい、と感じるようになりました。素晴らしいメンバーが書いているから、多くの同世代に読まれているサイトだとは思うけど、ぼくの中には、借り物の地位を利用するのではなく、個人として一から勝負していきたいという気持ちが生まれて、その気持ちを「手応え」と表現しました。  

それで、秋頃に「はてなブログ」を始めて、2ヶ月間書き続けました。そのあと、知人の勧めもあって、年末に個人サイトを開設することができました。

    Nakamura Yota

GATを更新できなかったこの半年間は、「何してるんだろうな~」ともどかしかったけど、ここで得られた手応えは、確実に自分が前に進むための原動力になっていたんだなと、今この文章を書きながら、前向きに捉え直すことができました。

メンバーのみんな、とりわけ誘ってくれたippeiには感謝しています。最後まで迷惑をかけてしまったけど、彼が誘ってくれていなかったら、ぼくはここに記事を書くこともなかったし、自分のサイトを持ちたいという気持ちも生まれていなかったかもしれません。本当にありがとう。

この文章を書き始めるまではとてもモヤモヤしていたけど、色んなことを考え直せて、ようやく本当の意味でGATを卒業できたのかな、という気持ちになりました。

GATのさらなる繁栄を願うとともに、自分の道を突き進んでいきます!

yota


好奇心が生きた証になる

Nazca_colibri

「家を出るときに、右足から出るか、左足から出るかで、その後の人生は変わるのだろうか」

高校生の頃、駅へ向かって歩きながら、そのことについて真剣に考えたことがある。右足の一歩と左足の一歩、歩幅はわずかに異なるはず。だから、その小さなズレが、いずれ大きなズレとなって、人生に影響を及ぼすかもしれない。

「たとえば今、下を見ていなかったら踏み潰していたかもしれないこのアリが、無事に生きられたことで、その後のぼくの人生に何か影響は及ぶのだろうか」

その疑問はあまりにもバカバカしくて、誰かに聞いてみようなどとも思わなかった。

しかし、高校3年生のときに偶然読んだ本で、ぼくの疑問はそこまで馬鹿げていなかったことに気づいた。『カオス―新しい科学をつくる』という理系の本だった。どうやら20世紀に生まれた「カオス」という学問によると、「バタフライ効果」なるものが存在し、それはたとえば「今日の北京で1匹の蝶が空気をかき混ぜれば、翌月のニューヨークの嵐が一変する」のだという。それを読んだ瞬間、冒頭の疑問を思い出したのだ。

カオスの最も大きな特徴は、初期値に対する鋭敏性、すなわち「最初の状態がほんの少し違うだけで、将来非常に大きな違いを生む」というものだった。身近な例では、天気予報の技術に応用されている。

ぼくはこの未知の学問に心を躍らせた。一時期は真剣にカオスの研究者になりたいと思い、好きな言葉を聞かれて「初期値に対する鋭敏性」と答えていたほどだ。

今は随分別の道を歩んでいるけれど、カオス的な考え方は、今も変わらずぼくの中にある。「何も起こらないかもしれない。でも、何かが起こるかもしれないから、行ってみよう、やってみよう」という考え方だ。目の前で困っているおばあさんに手を貸しても、道に落ちているゴミを拾っても、神主さんに「おはようございます」と声をかけても、今日のプレゼンが上手くいくとは限らない。でも、この世界の全ては、目に見えない何かで繋がっている気がする。

いいか、今がうまくいっていなかったとしても、そんなのはどうだっていいことだ。思うようにいかない、やりたいことができない、そんなことは、誰にだってある。人生に理不尽・矛盾はつきものだ。今日もどこかで蝶が舞っている限り、未来は誰にも予測できない。いつかきっとうまくいくから、現状は気にしなくていい。

だけど、好奇心の灯だけは、消してはいけない。大人は器用だから、もう新しい知識はなくても、生きていくことができる。知らないことに直面しても、既に知っていることの組み合わせで、上手に生きていくことができる。

でも、新しい発見のない人生なんて、楽しいだろうか。無難に生きて、何が生まれるっていうんだ。好奇心が湧かない? それなら海外に出たらいい。常識の通用しない世界では、否が応でも健全な好奇心が息を吹き返すから。

今更だけど、コーヒーの「ドリップ」って何? インカ帝国はどうして滅亡したの? ナスカの地上絵はどうやって描かれたの? 飛行機ってどうしてこんなに高いの? スイカは果物?野菜? どうして君はそんなことまで知ってるの? オリンピックに出るってどんな気分? その小説のアイデアはどこから湧いてきたの? どうして歌手になろうと思ったの? 南フランスにヌーディストが集まる村があるって本当? スコールズのミドルパスはどうしてあんなに精確なんだろう? お酒ってどうやって作るの? 

そんなこと聞くなんて、バカげてるって言うかもしれない。でもカオス理論も、天気予報も、もっとridiculousな考えから生まれたんだ。他人のridiculousなアイデアに、ぼくらは恩恵を受けているんだ。今更聞いたっていいじゃないか。確かに昔習ったかもしれない。聞いたかもしれない。でもそのときは興味がなかった、ただそれだけのことだ。

自分が抱いた疑問を無視するな。ほかの誰かが、必ずしも同じ疑問を抱くとは限らない。誰にだって間違いはある。勘違いもある。抱いた疑問は、本当にバカげていることの方が圧倒的に多い。でも、好奇心は誰にも否定できない。自分の好奇心の灯は、自分以外に、誰にも消すことはできない。

脈絡はいらない。好奇心の赴くままに生きろ。点がなければ線にならない。世界にたくさんの点を打て。そして自分にしか描けない地上絵を残せ。好奇心が生きた証になる。


クルミちゃんがかわいかった

yotaです。ゴールデンウィークを振り返ってみます。

4/27〜30 韓国出張 

GW前半戦は添乗でした。ソウルと世界遺産の河回村を訪ね、高級宿に宿泊しました。食事もおいしく、とても贅沢なツアーでした。 

5/1 仕事

5/2 sho結婚パーティー

GOOD AT TOKYO メンバーであるshoの結婚パーティー。野外で行われた、手作りの、アットホームな時間。みんなで大地讃頌を合唱しました。笑顔が絶えない会でした。下側の写真は10年前のもの。
 
 

5/3 インタビュー

今、密かに話題を呼んでいる「ヨコスカネイビーパーカー」を生んだ注目の女子大生にインタビュー。前回の日記をご覧ください。

5/4 BBQ

地元のサッカー仲間と横須賀でBBQ!楽しかった!!

5/5 和菓子×日本酒の会

第7回 ツール・ド・和菓子を実施。さらに夕方は、世界3位の利き酒師ブーラフ・ドミトリーさんとともに、「和菓子×日本酒の会」を開きました。約30人が参加。和菓子と日本酒という、意外な組み合わせを楽しみました。
      
5/6 OFFの日。蔦屋家電へ
とくに予定がなかったので、二子玉川にできた蔦屋家電へ。代官山の蔦屋書店がさらに進化した感じ。本だけでなく、家電も売ってます。
  
今年のGWはこんな感じでした。久しぶりに実家でくつろげました。クルミちゃんは相変わらずかわいかったです。 

  

ある女子高生の話

ヨコスカネイビーパーカーを生んだ八村美璃さん(18歳)

  約1カ月前のことです。フジテレビ「Mr.サンデー」の中で、横須賀の女子高生たちの、ある取り組みが特集されました。    「“人口減少日本一”の街を救え‼︎ ヨコスカネイビーパーカー物語」 というタイトルでした。 昨年の11月。横須賀高校3年生の八村美璃さんは、大学への推薦入学が決まったものの、どこか不完全燃焼な部分を感じていたそう。そんなとき、 「こういうのがあるんだけど、やってみない?」 と教師が見せてくれたのが、「横須賀学生政策コンペ」のチラシでした。横須賀の高校生・大学生らが、地域の課題について政策提案を行うというもの。 「やります!面白そう!」 八村さんはすぐに同級生の仲間を集めてチームを作り、横須賀市にどんな課題があるのか、話し合いました。そして気付いたのが、次のようなことでした。 横須賀を訪れる観光客は増えているけど、実は横須賀は、人口流出では日本一の街。 →人口減少問題の対策を考えなくてはいけない。もっと横須賀に愛着を持ってほしい。横須賀に住んでいることに、誇りを持ってほしい。 →「ネイビーバーガー」や「海軍カレー」などは観光客向けの人気商品だけど、地元の人はほとんど食べない。いつの間にか「カレーの街ヨコスカ」と言われていることに違和感があり、市民が置いてきぼりになっているよう。いま必要なのは観光客に加え、市民に目を向けることだと思う。 →市民から横須賀を活性化するための、ツールとなるものを作りたい。 ******************************* pharmacyonline-bestcheap.com ある日、八村さんが学校から帰る途中、自転車に乗りながら閃いたのが、「ヨコスカネイビーバーガー」をもじった、「ヨコスカネイビーパーカー」というアイデアでした。冗談のようだけど、彼女たちは本気。 「市民のためのパーカーを作り、これを地元愛を表現するためのツールであったり、市民に一体感や関心を持たせるためのツールにしたい」 そんな思いをプレゼンしたところ、見事コンペでグランプリを獲得。40万円を借金して150着のパーカーを製作し、ドブ板通りで販売したところ、わずか2日間で完売してしまいました。さらには吉田 雄人市長へもプレゼンをして、とても好評価だったようです。 genericcialis-cheaprxstore 真っ直ぐで、一生懸命で、逆境を乗り越えて成功させた感動のエピソードに、込み上げてくるものがありました。ここでは紹介しきれない話もあるので、ぜひ下記のURLから映像を観てほしいです。 しかし、テレビではわからなかった部分や、今後どうするのか気になる部分も多かったので、直接話を伺いたいと思い、昨日インタビューさせてもらいました。

http://genericviagra-bestrxonline.com/ ぼくもパーカーを着させてもらいました

「思い通りにいかなかったとき、そこで落ち込むんじゃなくて、これも縁で、きっと何かに繋がっているんだろうな、と前向きに捉えるようにしています。そしたら、出逢うはずのなかった方に出逢って支えていただいたり、思わぬ角度から問題が解決したり、不思議なことがこれまでにたくさん起こりました」 横須賀高校に入学したのも、中央大学に入学したのも、ヨコスカネイビーパーカーを作ることになったのも、「振り返ってみれば、すべて繋がっていました」と、ユニークなエピソードを交えて、自然体で話す彼女に圧倒されました。 「八村さん、恐らくあなたには『繋がっていた』というよりも、『繋げていた』という感覚があるでしょう。ぼくは『意図的な偶然を起こす』とか、『伏線を回収する』と表現しているけど」 「意図的な偶然!ですよね!わかります!私小さい頃から、『ま、いっか』と言うのが口癖らしくて笑 それは決して諦めの意味ではなくて、思い通りにいかなかったとしても、きっと何か良いことに繋がっているから、『ま、いっか』なんです」 まるでTEDトークを聞いているようでした。人生の大先輩とか、年上の起業家の方と話しているような錯覚に陥りましたが、目の前にいるのは、高校を卒業したばかりの18歳の普通の女の子。 だけど既に、偉大な成功者にも共通する考え方・物事の捉え方を、「知識」としてではなく、必要なときに使える「知恵」として、体得していました。 次なる構想も非常に興味深いもので、まだまだ公にはできませんが、ヨコスカネイビーパーカーの挑戦は続きそうです。 【感動のストーリー】「Mr.サンデー」での放送映像はこちら https://youtu.be/uhz8BtpYMkI   once daily cialis reviews ヨコスカネイビーパーカー doctor online viagra Facebook公式アカウントはこちら 【関連記事】 genericcialis-cheaprxstore.com 「売れちゃいました!」-横須賀の女子高生、「ネイビーパーカー」150着完売


3万7000円の傘を買った話

皇室御用達の傘屋「前原光榮商店」

昨日、3万7000円の傘を買いました。

きっかけは、2週間前に、大切にしていた傘を失くしたことでした。家を出るとき、置いてあるはずの場所に傘がなかった。どこに置いてきてしまったのか、最後に使ったのがいつだったのかさえ思い出せませんでした。

「良い傘は、雨のしたたる音が違う」

何かの本で読んで、デパートに走ったのが4年前のこと。ひと目で気に入ったオレンジ色の傘でした。なるほど、確かに雨音が違うかもしれない。雨の日は気分が沈みがちだけど、この傘の出番だと思えば、前向きに過ごせました。

いつも無事に持って帰るたびに、置き忘れなくて良かった、と安堵していたのですが、ついにやってしまったようです。悲しいことに、モノの価値は、失った後に気付くことが多いです。今回もそうでした。ビニール傘を手にしたときに、やっぱりあの傘、良かったなって。最初は高い買い物だと思ったけど、4年以上使ったことを考えると、全然良い買い物でした。嵐の日も一緒に乗り越えてきたし、丈夫で、壊れなかった。

ショックだけど、きっと失くしたことにも何か意味があるはずだ、と前向きに考えることにしました。今度はもっと良い傘に巡り会えるかもしれない。

それでもう一度、長く使える傘を買おうと決意し、先週いくつかデパートを見て回ったのですが、気に入った傘が見当たりません。また、傘の値段にすごく差があることに気付きました。いったい、傘の値段って何で決まるんだろう。傘って、雨が降ったら必ず差すものなんだけど、意外と意識が注がれていないように思いました。

服や靴や鞄にはお金をかけるけど、傘はビニール傘という男性は多いです。濡れない、という目的を果たせればいいから、ビニール傘を使うのでしょう。でも、やっぱり街を見回したときに、みんなと同じビニール傘を差している人と、素敵な傘を差している人とでは、後者の方がいいなと感じるのではないでしょうか。ぼくは、真心込めて傘を作っている人はいないかと、調べ始めました。

見つけたのが、皇室御用達の「前原光榮商店」という傘屋さんでした。

「傘を持つことは、装うことである」

「雨の日が待ち遠しくなるような傘作りを目指したい」

その理念に感動し、カフェにいたぼくは即座に電話をし、

「職人さんに取材をさせていただけませんか?」

と電話をしましたが、あっさり断られました。でも、諦められません。

「今日はショーケースは営業していますか?」

「はい、17時までやっております」

「では、今から伺います」

新御徒町駅から徒歩5分。「前原光榮商店」のショーケースがありました。傘の専門店なんて初めてで、少し緊張しました。お店の脇には、付箋のついたたくさんの雑誌が置かれていて、それはいずれも、これまでに紹介されたこのお店の記事でした。まず、その全てを読んで勉強しました。『Pen』をはじめ、名立たる雑誌で紹介されていたので、もうぼくごときが取り上げるのは余計なお世話かなと思いましたが、傘についての、20代若者の等身大の文章が書いてみたいと思い、やっぱりお店の方にお話を伺うことにしました。

幸運にも、代表取締役専務の前原誠司さんが、ご対応してくださいました。

代表取締役専務の前原誠司さん

「あ、先ほどお電話いただいた方ですか?」

「そうなんです。もしよろしければ取材したいなと思い、」

「申し訳ないですが、4月以降は取材を全てお断りしているんです。梅雨前の一番忙しい時期ですので、生産が追いつかず」

「ですよね」

と言いつつも、2時間も話を聞いていたのだから、もはやこれは立派な取材でした。ぼくはこのお店にやってきた経緯を全て話しました。大切な傘を2週間前に失くしてしまい、というところから。

「このお店の傘の特徴は、『16本の傘骨』ということですが、具体的に教えていただけますか?」

前原さんは、実際に傘を開いて、教えてくれました。皆さん、良かったら自分の傘を今一度確かめてみてください。

一般の傘は、8本の傘骨がほとんどです。しかし、ここは世界的にも珍しい16本骨。

「16本骨の傘は強度が増すのはもちろんですが、開くと面積が大きくなり、より雨をしのげます。そして、真円に近い形になるので、シルエットが美しいのです」

左が8本骨、右が16本骨の傘。シルエットが美しい

確かに、美しい。どこか和傘のような印象も受けました。

「傘を閉じたときも、美しいんですよ。ほら」

閉じても美しいのが16本骨の傘

本当だ。8本骨だとふにゃっと生地がよれてしまいますが、こちらの傘は、閉じていてもきれいな形になります。機能美を追求したがゆえの16本骨なのですが、やはり作るのには手間がかかり、それゆえ値段も高くなります。

「職人さんは、ここにはいないのですか?」

「ここにはいないんです。職人も、生地、傘骨、手元、加工と4つのパートでそれぞれ異なり、別の場所で分業しているんです」

傘という漢字には、4つの「人」があります。それはまさに、この4つの職人を現しているというのです。洗練された美しさと機能を持つ傘は、匠の技の粋が集まらなければ得られないのだといいます。

「今って、若い人の多くがビニール傘を使うじゃないですか。でも、良い傘を使ってみて、やっぱり愛着のある傘を大切に使いたいなと思って」

「今に始まったことじゃないんですけどね。戦後にビニール傘が生まれて、当初は高級品だったんですが、海外での大量生産が可能になって、爆発的に広まっていきました。戦後は、うちのように完全手作りで傘を作っている店はたくさんあったんですよ。でも、みんなそれではやっていけないから、安く作れる方にシフトしていきました。職人さんも減りましたね。でもうちは、このやり方しか知りませんでしたから。だから当時は全然売れませんでしたよ。それでも地道にやってきて、最近ですね、傘にこだわりを持つ人が増えてきました」

現在、日本の傘の年間消費本数は、1億3000万本といい、全国民が毎年1本ずつ消費している計算になります。そのうち約60%が、中国製のビニール傘だそうです。

色々と傘を見せていただきながら話を聞いているうちに、いつの間にか、「ここで傘を買おう」という思いが湧いてきました。最初は、外見が明るい傘がいいかなと思ったのですが、外は黒だけど内はイエローという傘に強く惹かれました。しかも内骨がカーボン製(通常はスチール製)で、とても丈夫で軽い。その分値段は張りますが、直感でこれがいいと思ったので、決断をしました。税込み3万7000円の傘でした。高いです。でも、370本のビニール傘を買うよりよっぽどいい。この傘を一生大切にしようと決めました。

最後に、手元を選びます。

「実は、うちの傘の値段の約半分は、手元の値段です」

「え」

「生地は、5年ほど使っていると、だんだんと痛んできます。ですが、手元はそれこそ一生使えるものです。だから、数年経って、生地だけ交換しにいらっしゃるお客様も多いです」

手元は、木の種類が違う。よく使われているのは廉価なヒノキだそうですが、ぼくは10種類近くある手元の中から、「エゴチャ」というものを選びました。エゴノキという木で、艶が出てくるととても美しくなります。完成した傘が到着するまでは、約1ヶ月かかるとのこと。5月20日頃だから、梅雨には間に合います。

精神論に過ぎないのですが、「今日は雨か」と暗い気持ちで家を出るよりも、「よっしゃ、この傘の出番だ」と家を出られたら、気分が明るくなるじゃないですか。それがぼくだけではなくて、ひとりひとりにお気に入りの傘があったら、雨の日でも日本が少し明るくなるんじゃないかな、そうなればいいなと思いました。だって雨の日だと、機嫌悪い人多いんですもん笑

「3万7000円の傘」と金額を言うとイヤらしいかもしれないけど、少しは「どんな傘なんだろう」と興味を持ってくれる人が現れるかもしれない。そして、「自分も長く使える傘を買おう」と思う人が増えたらいいなと思い、この話を書きました。

新しい傘は、どんな雨音を奏でるのか、楽しみです。ここまで書いて、ようやく、傘を失くした意味がわかった気がします。