登山家・栗城史多さんから預かった「秘密の封筒」の中身とは

「どうして、フランスで転倒事故を起こしてしまったのか」

ニースの町を歩きながら、ひたすら考えてみたけど、結局その理由がわかったのは、事件から半年後のことだった。

今週のテーマ「忘れられない旅の思い出」


事件はその2日前に起きた。2010年の夏のことだ。

自転車でヨーロッパを旅していて、ちょうど1ヶ月が過ぎた頃だった。美しいブドウ畑を眺めながら、ぼくは南フランスの田舎道を気持ちよく走っていた。

途中、曲がり角に差しかかる手前に、小さな水たまりがあった。とくに気を止めず走っていたが、それがガソリンだと気付いたときには、すでに自転車は宙に浮いていた。時速30kmでの転倒。後続車の急ブレーキが少しでも遅れていたら、死んでいたかもしれない。

幸い、大きな怪我にはならなかったが、顔と肩の傷が傷んだのと、少し精神的にも取り乱していたため、休養のため、1泊しかしない予定だったニースで3泊することにした。ぼくは町を歩きながら、「なぜ怪我をしたのだろう。なぜニースで3泊もする『必要』があるのだろう。きっと何か、意味があるはずだ」とずっと考えていた。

マクドナルドで横に座っていた女性が日本人だと気付いて、思わず話しかけてしまった。すると、ぼくが旅の資金をスポンサーで集めたということに興味を持ってくださり、「ぜひ、旦那に会わせたいので、今晩夕食をご一緒しませんか?」と言われた。その方の旦那さんは、とある有名企業の社長さんで、たまたま出張でニースに来ているとのことだった。

夜。川口社長は、ひと通りぼくの話を聞き終えると、

「中村くんな、俺も、ある男のスポンサーになってるのよ」

と言った。「誰のですか?」と聞くと、ぼくの尊敬する方だったので、とても驚いた。

「エベレスト登山家の栗城史多くんという子だよ」

当時はまだ、今ほど有名にはなっていなかったが、ぼくはNHKのドキュメンタリー番組で栗城さんのことを知り、夢に向かって挑戦する彼の姿に深い感動を覚えた。

「栗城さんは、ぼくの尊敬する方です。いつかお会いしたいと思っています」

と、社長に伝えて、その場を後にした。

ニースにて。川口社長と、奥さん

 

憧れの人に会うも・・・


それから、半年後。

学生最後の春休みを過ごしていたぼくのもとに、突然川口社長から電話がかかってきた。

「今度栗城くんとメシを食うから、中村くんも来ないか?」

それで、ぼくは社長の家で、栗城さんに会うことができた。しかし、これは新たな旅の始まりに過ぎなかった。

「実は明日から、卒業旅行で四国を一人旅するんです」

楽しい食事の間、何気なく放った言葉に、栗城さんはさらりと言った。

「せっかくだから、なんか面白いことしなよ。たとえば、無一文で行くとかさ」

「それは面白いな!はっはっは」
社長は気持ち良さそうに酔っていた。


いやいやまさか、と思ったが、栗城さんは冗談で言っている顔ではなかった。尊敬する人の前で、「嫌ですよ」とは言えない。

「…わかりました。やります。ぼくの財布を、社長の家に預けていきます。ですが、青春18切符はもう買ってしまったので、これだけは使わせてください。あとは無一文で行きます」

その瞬間から、ぼくは本当に無一文になった。

「無事に帰ってきたら返してやるから。はっはっは」

ぼくの財布は棚の中へ

ぼくの財布は棚の中へ


青春18切符は持っていたので四国までは行けるが、まずこれから家に帰るお金がなかった。

すると社長が、1000円だけチャージされたPASMOを渡してくれた。

「今夜はこれで帰れ。はっはっは」

所持金0円。わずかな食料、そして栗城さんに渡された「秘密の封筒」を持って、ぼくは旅に出た。

栗城史多さんと

栗城史多さん

謎の封筒

秘密の封筒

 

無一文の旅が始まった

翌朝。西へ向かう電車の中、twitterで、「今日から無一文で旅をする中村洋太です。今夜は大阪で一泊します。どなたか、晩ご飯と泊まる場所を恵んでいただけないでしょうか」とつぶやいた。

さらに、

 

 

栗城さんが紹介してくださったこともあり、全国の栗城さんファンの方々から、「無一文の旅、頑張ってください」「四国に来たら会いましょう」と、励ましのメッセージが届いた。


また途中、こんなピンチも。


(切符は無事、熱海駅の落し物窓口で見つかった)

 

そしてその後、ある方から実際に連絡があった。「よかったら、ここに来てください」と言われて向かったのは、大阪にある「堺筋倶楽部 AMBROSIA」という高級イタリアンだった。何かの間違いだろうと思ったが、恐る恐るお店に入ったら店員の女性が「お待ちしていました。大変でしたね〜」と笑顔で迎えてくださった。

初日の夕食

初日の夕食(の前菜)


いきなりのコース料理。それも、こんな高級な料理を食べたのは人生で初めてのことだった。「お金を請求されたらどうしよう…」とビクビクしながら食べたのを覚えている。無一文のはずなのに、いったいこれはどういうことだ。

そしてまた別の方が、自宅にぼくを泊めてくれた。自分のお金で、普通に旅をしていたら、会うはずのなかった人と、会っていた。

これはいったい…。頭の中には「?」がたくさんだった。

「今日は○○へ行きます。旅の話をしますので、よろしければ何か食べさせてください or 一晩泊めてください」とtwitterでつぶやいては、反応を待ち、声をかけてくださった人に会う。そんなギリギリのことを繰り返しながらも、本当に11日間無一文で四国を旅することができた。 誰に会っても、「ほとんど食べてないでしょう。たくさん食べなさい」と皆さん決まってご馳走を恵んでくださったおかげで、逆に太って帰ってきてしまった。

徳島で林業を営む社長さん

徳島で林業を営む社長さん

たくさんの方が親切にしてくれた

たくさんの方が親切にしてくれた

 

 旅を終えて

人に自慢できる話ではない。でも、この体験をすることには、純粋に価値があったと思う。

こんなにお金について考える時間を持ったのは初めてだった。人の援助があったからとはいえ、お金がなくても旅ができてしまい、「じゃあお金っていったいなんだろう」と、来る日も来る日も考えていた。


「ポケットに財布がない」というのは、とても落ち着かないものだった。しかし、日が経つにつれて、解放感が生まれて気持ちよくなってきた。お金を忘れる、お金から自由になる、という状態だったのかもしれない。

お金を持つ普通の生活に戻っても、「無一文」の精神は大切なことだと思った。無一文の精神、それは、「必要のないものは買わない」=「本当に必要なものだけを買う」ということだ。「普段だったら、ここで飲み物を買ってしまうな」と思うことが何度かあったが、もちろんお金がないので買うことはできない。しかし、時間が経ってみても、そこで飲み物を買う必要性を感じることはなかった。欲しい、と思ったけど、別に必要なかったんだなと思った。無一文になったおかげで、生きていくうえで本当に必要なものは何かと、真剣に考えるようになった。

無一文。それは流れていく感覚。お金がないことによって、選択肢は減る。しかし、選択肢の少ない方が、余計なことに悩まなくなり、人生はシンプルになるのかもしれない。漫画『バカボンド』に出てきた言葉を思い出した。


お前の生きる道は、これまでもこれから先も、天によって完璧に決まっていて、それが故に、完全に自由だ。



お金があれば、自分の行きたいところへ行き、食べたいものを食べられる。でも無一文でいると、どうしても人の助けを借りないと生きていけない。手を差し伸べてくれた人を信じ、頼りにするしかない。お世話になるからには、「こうしたい」「ここに行きたい」という強い主張はできない。だから、一見「全く自由じゃない」ように思える。

しかし、結果はどうだっただろうか。ぼくは自分の頭で考えて行動していたら会えない人に会えた。お金を持っていても泊まれなかった場所に泊まれた。自分自身が風のように漂い、余計な力を抜いて、何にも逆らわずに流されていくことで、むしろ完全な自由を手に入れることができるのかもしれない。そして旅の価値は、お金によって左右されないのかもしれない。

人間は「自然の流れ」に逆らってはいけない。「自然の流れ」は、人間の判断ごときで敵う相手じゃない。大きな流れに体をゆだねれば、もっと人生は楽になると思った。



もしあの時、転倒していなかったら

恵比寿の改札を抜けると、社長が手を振って待っていた。ぼくは無事に帰ってきて、ぼくの財布も無事に返ってきた。

財布返還式

財布返還式


「ようやったよ、中村くん」


おいしいお寿司をご馳走になりながら、社長と語り合っていた。

「そういえば、栗城くんに封筒もらったやろ。あれ開けたか?」

「いえ、開けずに済みました」

「ほんなら、ここで開けてみよ」

CIMG0222

その封筒の表には、「本当に辛かったら開けてみてちょ」と書いてあったから、ぼくはきっと、お金が入っているんだと思った。いざというときには、栗城さんがそのお金でぼくを助けてくれたのだろうと思っていた。

しかし、入っていたのはお金ではなく、一言だけ書かれた紙切れだった。

・・・


「苦しみに感謝」


それで、ようやくわかった。半年前、南フランスの田舎道で転倒事故を起こした理由が。この言葉の意味を、体験を通してぼくに教えてくれたのだと思う。

もしあの時、転倒していなかったら、ぼくはニースのマクドナルドで社長の奥さんに話しかけることもなかったし、栗城さんに出逢うこともなかったし、無一文の旅をすることもなかったし、旅先で素敵な人たちに出逢うこともなかった。自分の身に起きるすべての出来事には、何かしら意味があるのだと思う。だから苦しみにも、感謝なのだ。