旅で印象的なのは、ごはんの記憶である。特に、異国で出会う珍しい料理は旅の回想に欠かせない。メニューの単語一つひとつを手がかりにしながら味を想像し、ジェスチャーをまじえながらなんとか注文を終える。しばらくして運ばれてきたものが、予想とまるっきり異なっていたなんていうことは日常茶飯事。未知であるからこそ、想像の上を行く美味しい料理、面白い料理に出会えたりするのだ。
遠い空の下で食べたごはんを思い返していると、その時一緒にいた人達、交わした言葉、外気にまじる匂い、町の喧騒なども一緒に蘇る。ぐっと力強く思い出の中に引きずり込まれ、まとわりつくような熱気、あるいは刺すような冷気を感じながら、しばらくじっとそこに留まっていたくなる。ここではない、遠い遠い場所。まるで夢であったかのような非日常の世界。
生まれて初めて海を渡り訪れた国は、中国だった。私が大学三年生の時である。北京大学の教室で中国語会話を勉強するという三週間の授業で、約二十人ぐらいが参加していた。午前中は授業、午後は観光で、ホテルに帰るとくたくただった。次の日の授業の予習をして泥のように眠る。
北京についてから数日で、熱を出した。寒気と眩暈がするような高熱で立っているだけでも辛かったのだけれど、「北京ダックの有名店を予約しているから、せっかくなので行きましょう」と先生がおっしゃるので二つ返事でお店へと向かった。食い意地の塊である。お肉を薄い皮でくるくる巻く作業すら辛く感じ、味覚も平常時より鈍っていたかと思うけれど、それでもジューシーなあのお肉の味は今でも舌の先に残っている。円卓を囲んだ食事がいかにも中国らしかった。
皆で色々な場所をめぐった。お肉がたくさんつるされたスーパーマーケット。一食一食がとても安い北京大学の食堂。日本にもある火鍋のお店「小肥羊」では、お仕事そっちのけで集まってきた店員さん達に、皆で日本語を教えた。「こんにちは」の一言を覚えて喜ぶ姿に、こちらまで嬉しくなったことを覚えている。一人、笑顔がタイプの店員さんがいて、帰り際に勇気を出してツーショット写真を撮ってもらったのも懐かしい。
最後の夜は、上海のホテル近くで家族経営をしている食堂にて飲み会をした。初対面にも関わらず「日本に帰らないでほしい。結婚してほしい」と口説かれている先輩をあたたかく見守ったり、「日本に行ってみたいけれど航空費が高いから……」と言う女の子に日本語を教えたり、皆でわいわいと愉快な夜を過ごした。日本に帰ってからも気軽に連絡をとる手段がほしかったのだけれど、あの頃中国では「QQしかやってないんだ」と言う人が多かった。今だったらフェイスブックを使っていたりするのかしら。私はもう、あの頃中国で出会った人達と再会することはないだろうけれど、時々、蛍光灯が青白く光るあの食堂を懐かしく思い出すことがあるのだ。彼女はまだあそこで働いているのかな。それとも日本へ来られただろうか。
次の年の夏、友達と5人でタイ、カンボジアへ行った。事前に航空券だけ買っておき、後はバックパックを背負って放浪する10日ほどの旅。初めに行ったタイのカオサン通りは観光客や現地の人々が入り混じる活気のある場所だった。近くのゲストハウスに宿を取り、ふらふらと屋台を覗いては異国情緒溢れるチープな料理を貪り食べた。東南アジア特有の、スパイスの香りを含んだ濃厚な空気にくらくらした。
コンビニでチャーンやスパイなどのお酒を買って少しずつ飲みながら歩きまわるのが、お行儀は悪いけれど楽しかった。スコールに降られて慌てて商店街の軒先に駆け込む。雨やどりをしながら友人の吸う煙草の煙が、少しずつ夜の闇に溶けていく。
パタヤではリゾート気分を満喫しようと、少しだけ贅沢をしてお洒落なテラス席でカクテルを味わった。贅沢と言っても、日本の居酒屋と同じぐらいの値段である。金銭感覚がおかしくなってしまうぐらい、タイは何もかもが安かった。それでも、あの頃は学生でそれほどお金を持っていなかったので、旅の終わり頃には困窮していたなあ。社会人になった今、もう一度タイに行ってみたい気もするけれど、あの頃みたいにゲストハウスで眠ることはもうないだろう。トイレの個室で水シャワーを浴び、便器も床も何もかもびちゃびちゃになるような経験はきっとあの時かぎり。大切な記憶。
カンボジアだったか、遺跡見学の途中で昼食をとった時に、牛肉をのどに詰まらせた。大きな塊を、横着して無理やり飲み込もうとしたのが悪かったのだ。「ぐえっ」と変な声が出て、一瞬死を覚悟した。目を白黒させるとはまさにこのこと。隣にいた友人にバンバンと背中を叩いてもらい、すんでのところで生還した。そんな死に方はいやだ。
ところが災難は続き、カンボジアからタイに戻ってきた日に高熱を出した。外国で体調を崩しがちなのである。一人、ゲストハウスで丸くなって二日間ほど眠った。測っていないが、体感で39度ぐらいは出ていたのではないかと思う。とんでもない腹痛にも襲われ、むくりと目を覚ましてはトイレへ駆け込んだ。屋台で食べたチヂミに入っていた牡蠣が悪さを働いたのではないかと疑っている。まさか牡蠣が入っているとは思いもよらなかった。やっぱり私は東南アジアの地で死ぬのかなあと考えては眠り考えては眠り、ようやく熱が下がり始めた深夜、りんごジュースを求めて一人でカオサン通りへ繰り出した。ゲストハウスのWi-fiで必死に調べたところによると、りんごがおなかに良いらしいのだ。一人で歩くタイの夜はやはり怖くて、りんごジュースを握りしめてそそくさとコンビニを飛び出した。あの時の不安感を思い出すだけでまだドキドキする。
おなかにやさしい食べ物の一つにうどんも挙げられていたので、最終日はバンコクにある日本料理も出すお店で鍋焼きうどんを食べた。めずらしいもの、辛いものをたくさん食べようと意気込んでタイ、カンボジア旅行に臨んだのに、最後の最後で鍋焼きうどんか……と脱力である。帰国したらラーメンを食べたいとずっと思っていたのだけれど、家についてまず作ったのはお粥だった。牡蠣はこわい。
約半年後、女友達と二人でバリ島へ行った。これまた貧乏旅行で、クタ・レギャンのお安い宿に泊まった。お風呂は、ドアをあけた次の瞬間にはぱたんと閉じ、「ここは使わないようにしよう。スパでお風呂に入ろう」と決意したぐらい汚かった。
町には安くごはんを食べられるお店がたくさんあった。一月の日本の寒さを忘れるような熱気の中、二人でいかにもリゾート風なマキシワンピを着て、人と車で溢れかえるクタの夜道を歩いた。「あまり遅い時間に女性だけで歩いてはいけません」とガイドのおじさんに何度も念押しされていたので、毎日22時ぐらいには宿に戻っていた気がする。初日の夜は建物の屋上にあるテラス席で中華料理をいただいた。淡く光るテーブルランプがお洒落だった。
滞在した四日間ぐらいは、毎日三時間超えのスパに行っていた。最終日はスパ疲れしていたなあ。お昼には必ずナシゴレンが出され、正直食べ飽きた。ただ、一緒に出される赤いサンバルソースはお気に入りで、べたべたとナシゴレンに塗りたくって食べていた。酸味と辛さが、身体を包みこむようなバリ島の熱気に合っているような気がしたのだ。スーパーで安く買えるところも良い。
スーパーと言えば、ちょうどサンバルソースを探している時に現地のおじさんに話しかけられたことを思い出す。日本語が堪能で、気づけば知り合いがやっているというアクセサリー屋さんへ連れて行かれ、友人と指輪を購入していた。その後、おじさんの運転するバイクに三人乗りをし、ひざを擦りそうなほど狭いぐねぐねした路地を抜け、観光客は誰一人いないような地元感溢れる食堂に案内された。多少緊張していて何を食べたかあまり思い出せないが、簡素なお皿やおじさんがスプーンを握る指、もの珍しそうな視線なんかがパズルのピースのように記憶の中に残っている。
バリ島で一番美味しかったのはナシチャンプルである。惣菜のようなものがお皿にたくさん乗っかっている庶民的な見た目の料理で、とにかく安い。スパの帰り、送迎車の運転手さんに「美味しいランチが食べたい」と告げたところ一皿数千円するようなシーフードBBQの店に連れて行かれ「この車のナンバーを店の人に伝えて」というので、「わかった」とお店に入るようなふりをしながら慌てて逃げ出した。貧乏学生にそんなお金の余裕はないのである。街から少し離れ、道の両脇には木々が生い茂り、子供が裸足で走り回っているような場所を友人と二人てくてく歩いた。景色は少しカンボジアに似ていた。ガイドブックを頼りになんとかたどり着いたのが、ひっそりと佇むナシチャンプルのお店だった。観光客はあまりこないのか、注文の言葉がうまく通じず途方に暮れていたら、英語とインドネシア語を操る他のお客さんが助けてくれた。
ようやく一息ついて口にしたナシチャンプルは、たまらなく私達を安心させてくれた。全体的に茶色く、濃い味付け。かしこまったところがない、地元の料理。それぞれのおかずはなんだか似ているようで違う。いくらだったか正確に覚えていないけれど、色々な種類のおかずが食べられたのに驚くほど安かった。またあのお店に行ってみたいけれど、どこにあったのかまるで覚えていない。
最終日は、クタ・レギャンについた時から気になっていたお洒落なレストランに入ってみた。テラス席に座ると、近くにはぼんやりと照らされたプールが見えてとてもきれい。欧米人のお客さんが多かった。私達は全然お金を持っていないので、前菜を一皿と、友人はコーヒー、私はアマレットをストレートでちびちび飲んだ。一杯で三時間ほどねばっただろうか。二人で延々と話をする時間が楽しかった。
翌月は別の女友達と二人で韓国へ行った。卒業旅行のシーズンである。私はなぜか行きの飛行機の中でおなかを壊し、韓国に着いてからもずっとトイレ通いが続いていた。けれども、韓国には食べるために来たのである。辛いものを浴びるように食べたい。ということでランチにはビビンバを食べ、夜は豪華な韓国料理のコースを堪能した。まだ動いているタコを食べるのもずっと憧れていたことの一つ。いざ食べてみると吸盤の吸いつく感覚が面白かったが、おなかへのダメージは気になるところである。
夜、韓国料理を食べたお店では、関西弁を自在に操る陽気なおばちゃんが働いていた。おばちゃんは、「あんた達、女二人で旅行なんて寂しいなあ」とひどいことを言うなり、私の椅子をぐいっと後ろ向きに回す。後ろのテーブルでは同い年ぐらいの日本人の男の人二人が食事をしていた。「せっかくだから四人でどこか行ってきなよ」と無茶苦茶なことを言い出すおばちゃん。おばちゃんの勢いに押され、その後四人で近くのバーへお酒を飲みに行った。せっかくのお酒だったのだけれど、私は少し口をつけるやいなやトイレへ駆け込むという状況。正露丸でも持って行けばよかった。
最終日の夜は、ちょうど韓国へ旅行に来ていた共通の友人二人と合流し、韓国に留学していた別の友人にごはん屋さんへ連れていってもらった。おなかを気にしながらもそもそと食べたので味の記憶がほとんどないのだけれど、店内に充満した鍋の熱気が心地良かったことを覚えている。冷えた身体を芯まであたためてくれる料理。冬の韓国らしくて素敵である。
大学を卒業し、しばらくの間は海外へ行けなかった。ようやく海を越えられたのがついこの間の年末年始のことである。彼氏と一緒にバリ島とシンガポールに二泊ずつ滞在した。出発直前、深夜1時頃に空港で食べた牛丼の美味しいこと。
久しぶりのバリ。社会人になり、前回よりも贅沢に過ごせた。お酒だって何杯も飲める。もうストレートのアマレットをちびちびなめなくてもいいんだぞ。もうできない楽しみ方と、今しかできない楽しみ方があるなあと感じる。そしてきっと、今はまだできない楽しみ方もあるのだろう。
コンラッドバリはサービスの行き届いた素敵なホテルだった。日光の降り注ぐプールサイドの椅子に寝そべり、小説を読みながらカクテルを飲む。眠くなったら少し眠る。プールに入って身体を動かし、タオルにくるまってもう一度寝そべる。何時間でもそうしていられる気がした。
シンガポールでは、彼氏が「これを食べるために来た!」というほど美味しいチキンライスをいただいた。天天海南鶏飯という行列店である。夕方16時頃に並んでいると、お店の人が出てきて「もう売り切れ」というようなことを言い始めた。私は諦めてすごすご帰ろうとしたが、「いや、まだいける、まだいける」と彼氏が粘るので半信半疑並んでいたところ、ちょうど最後の一皿にありつくことができた。不屈の精神って大事なのね。後ろの中国人カップルがとても残念そうにしていたので心が痛かったけれども。
ライスにしっかりと鶏出汁の味がついていて、香りも良い。鶏肉はもっちりしっとり。一人で一度に五皿ぐらい食べたい気持ちに襲われた。これが行列店の実力である。ソースは想像以上に辛くてうれしい。
川のそば、夜風に吹かれながら年越しの時間が近づくのを待った。陽が落ち、空の色が濃くなるにつれ、街は陽気さを増していく。杯を重ねるごとに饒舌になる。ビールをしこたま飲んだら、次はのんびりとカクテルでも。と思いきやジュースのようで、ごくごく飲んでいるとあっという間になくなってしまう。シンガポールのごはんはバリ島よりも値段が高く、大体日本と同じぐらい。
マリーナ・ベイ・サンズのラウンジでの食事は素晴らしかった。植物園をはるか下に眺めながら、食べ放題のおつまみと飲み放題のワインを楽しめる。最近、ごはん屋さんへ行く度に、人との会話がはずむ場所とそうではない場所があるなあと感じているのだけれど、マリーナ・ベイ・サンズのラウンジにあるテラス席はついつい語り合いたくなるような場所だった。そこにいるだけで、幸福感に包まれて楽しい気分になれる場所。
今回の旅行で絶対に行きたいと思っていたムトゥース・カリーにも行けた。会社の人におすすめされたお店で、ガイドブックにも載っている。雨がぱらぱらと降り始めたリトルインディアを早足で歩き、高級感のある店内に駆け込む。出されたカレーはどうやって食べるのかよくわからず、きょろきょろしてしまった。暴れたくなるぐらい辛いカレーを、ライスでなんとかごまかしながら口に放り込んだ。二人とも辛党なのだけれど、それでも我慢できないぐらい辛いカレーであった。「辛すぎていらいらする」と二人してつぶやきながらなんとか完食。食べ終えてみると、驚くほど爽やかな気持ちに包まれている。
日本でもまだまだ食べたいものがありすぎて生きている間には到底食べ切れなさそうなのに、海外にまで目を向けたらどうなってしまうのだろうか。もっと色んな国へ行って、食べたことのない料理とランデブーしてみたい。数年経って舌先が覚えているのは、高級な料理とはかぎらない。その時の匂い、音、会話、そして味。それらが一体となって私の中に鮮烈に残り続けるごはんの記憶がある。何かの弾みで忘れてしまいたくないから、こうして書き留めておこうと思う。時が経てば経つほど、もう戻れないあの時のごはんの時間がなんだか切なく、甘く、私はおやつを口にするかのようにそっと思い出してはまた大事にしまいこむ。そして、次はどこへ行き何を食べ、どんな記憶を残そうかと、一人思いをめぐらせる。