練馬という町

8574101956_cb53450dc3_o

「出身は?」と聞かれて「練馬です」と言うと、大抵「へえー」で話が終わってしまう。なので最近は出身地を問われると途端に肩身が狭いような心持ちになり「練馬ですーあまり話が盛り上がらない場所でごめんなさいー何もないんですよ練馬ー」と先回りして謝るようになった。そうすると大方の人が「東京生まれか!シティガールだねー!」なんてフォローをしてくれるので、「いやいやいや練馬区は23区の端っこですし私の住んでるところは歩いて数分で西東京市なのでど田舎ですよー焼畑のにおいとかするんですよー近くの畑にヤギがいるんですよー」となぜか自虐に走ってしまうのが常。あと最近は「へえー練馬!練馬ザファッカーじゃん!」という展開もあるのだけど私は練馬ザファッカーというものをまったく知らないので、「なんですかそれー」とか言ってへにゃらと笑って練馬の話はそこで終わりになる。

方言や観光スポットや有名なご当地料理がある地元って羨ましいなー、地元愛がある人って羨ましいなーといつも思っていた。

ところが最近、旅行中なんかに知らない町の住宅街に迷いこんで、「あ、練馬に似てる」って感じる時、胸がいっぱいになることがある。一人暮らしを始めて、練馬から離れたから余計にかな。練馬という町は、特筆すべきこともない普通の町なのだけれど、私にとっては思い出がたくさんたくさん詰まった大切な場所。踏切や公園のベンチやコンビニを横目にふらりと歩くと、昔の甘酸っぱい感情がふっと思い起こされたりする。

DSC04357

先日、花火大会のための着付けをしてもらいに実家に帰った。妹がヘアメイク・着付け担当。母親はアシスタント。父親はyoutubeの着付け動画を探して再生する係。久しぶりの実家はとても心地良かった。そして、久しぶりの地元はなんだかとても眩しく見えた。炎天下の歩道を、カメラを片手にふらふらと歩いた。

DSC04355

大学生の頃、毎日自転車を漕ぎながら横目で見ていた景色。あの頃は今よりも、たくさん悩んで、よく泣いていた。楽しいことと同じぐらい、不安なこと、悲しいこともあった。終電近く、街灯の少ない暗い道路を自転車で疾走し、マンションの駐輪場に入ってほっと一息つく。自転車置場の隣に立ってウィルコムで長電話。なぜかいつも喧嘩になり、深夜にぴーぴー泣いてた。

4739258950_caa3f5dcfa_b

中学生の頃、通学路で好きな人を見かけた日は嬉しかった。顔を合わせて話をしたことはほとんどなかったから、残っているのは背中の記憶ばかり。あの頃はとても大きな背中に見えたのだけど、それはきっと私が小さかったから。

4735191366_489a7161f5_o

毎日、陽が落ちて暗くなるまで、話が尽きなかった。春には、公園に生い茂った木々の隙間から光が漏れて、あたたかな風が吹いた。私の高校は私服校だったけれど、制服もどきを着て人と並んで自転車を走らせる時間がなんだか誇らしかった。少しずつ少しずつ新しいことを知り、それでもまだ知らないことばかりの世界にどきどきしていた。生物の時間に習った遺伝の話を振り返りながら、私達の子供の血液型は一体何型になるのだろうと真剣に考えたりした。

4818990594_e9999a9d9f_o

練馬にたくさんの思い出を残して、私は高円寺に越してきた。実家は自転車で1時間もかからないほどの距離だけれど、年に数回しか帰らない。たまに家の周りを歩くと、タイムカプセルを開いたかのような気持ちになる。きらきらして、もう戻らないもの。取り出して眺めると、少し息が苦しくなるようなそんな記憶。

でも、タイムカプセルを開けるばかりじゃつまらないから、西武線の黄色い電車に揺られて時たま練馬に行き、新しい思い出を埋めている。もう練馬は私の町ではないけれど、実は美味しいお店がたくさんある素敵な場所なのだ。

DSC03986

濃菜麺はふとした瞬間に食べたくなる大好きなラーメン。こってりしているのに野菜がたくさん入って健康的。練馬駅で乗り換える用事がある時は、いつも寄っている。前は一人で通っていたけれど、最近は二人で。並ぶ時間も楽しくなった。

なんだかとてもとてもおなかが空いてしまった。次はいつ行こうかな、練馬の濃菜麺。