おとなの僕も傷ついて眠れない夜はあるけど、苦くて甘い今を生きている

日曜日担当のHachiです。

久々仕事モードに切り替えるのにふぅふぅ言いながら、なんとか乗り越えた一週間。
三連休いかがお過ごしでしょうか。

私はと言いますと、恵比寿の”寺カフェ”で体に優しいランチを堪能したあと(うっかり写真撮り忘れた!)、
ドライブがてらお台場近くの大江戸温泉物語へ。
温泉とサウナと屋台と焼鳥とビールで、一週間がんばりぬいた体をいいこいいこ。
せっかく整いかけた睡眠時間や起床時間のリズムを崩さないよう、連休も全力で楽しみたいと思います。

さて、今週のテーマは、 「20歳のとき、なにしてた?」

人生の夏休み謳歌

テーマを聞いて、ぐぬぬ・・・と記憶の奥をひっぱりだしてみます。
20歳というと、大阪の大学で心理学を学んでいたころ。
授業の空き時間はすかさずぬかりなく、カラオケへ駆け込む。
自宅の近くの小さな焼肉屋さんで、大笑いしながら、
それでも一生懸命にスタッフ皆で仲良く楽しく働いていたころ。
地元の元バスケ部員で作った小さなクラブチームで毎週ゆるくプレーしていたころ。

ご覧いただいてわかるとおり、”the 大学生”として毎日ただただゆるりと過ごしていたころ。 まさに”人生の夏休み”です。

ここに特記して書くのは大変恐縮してしまうくらい、”たのしい”だけを追求して毎日生きていました。
どうしても行きたくてたまらなかった大学、学部に幸運にも入学できた私。(本当に運だけがよかった)
高校を卒業してから、「生きてたらいいよ」と、すべての責任を自分で負う代わりにすべての自由を授けてくれた両親。
その言葉によしきた!と、とにかく自分やりたいように、過ごしたいように、欲求のままに毎日生きていた。
「糸が切れたたこみたい」と母親があきれるほど、毎日どこかに朝から晩まで出掛けて遊び呆けていました。ふふふ
貯金もしない、習い事もしない、資格もとらない。恐ろしいほど贅沢な時間を4年間過ごしました。

だから、「何してた」と聞かれると、正直何か取り立ててかくことって本当に難しい。
とにかく「たのしかった」それだけは自信をもって言える。「たのしい」と思えることしかしなかったので。
そんな感じで就職活動開始まで気のままに生きていたから、将来のことを突然考えることがとっても困難極まりなかった。
だから、あまりしっくりこないままに就職先も決めてしまって、また遊べるじゃないかと諸手を挙げて喜んで、
そして時間が経つごとに働きながら”仕事”ということに疑問を抱くようになって、転職へ、と続いていくのですが。

将来の準備期間としては、世間的にペケな過ごし方で、模範的な将来への準備期間の失敗例になってしまうのかもしれない。
もちろんいまの頭や心のまま、20歳に戻るなら、少し見直したい部分はあるけれど、
それでも私は20歳の過ごし方をちっとも悔いていません。それは就職してみて、友人と話しているときに感じたこと。
「もっと遊んでおけばよかったー」という友人の言葉。「そうかなあ」と思った私。そんな風には思わないなぁと。
毎日本当にお金も時間も労力も惜しまずに遊んだから、遊ぶことへの未練や心残りが驚くほどまったくありません。
もう十分すぎるくらい「大学生としての私」を楽しんだから、「さて、次は社会人の私」とサクッと切り替えられました。
もっとできたこと、すべきことはあったのかもしれないけれど、自分として悔いのない大満足の4年間でした。

私の20歳はそんな4年間という「人生の夏休み」のまっただ中で、記憶がないくらい遊んでいました。
世間的な評価は置いておいて、それぞれの時間の過ごし方があるけれど、自分が悔いなくいられることが一番だと感じます。

タイトルはアンジェラ・アキの「手紙」という歌の歌詞です。
20歳という「こどな世代」には胸にささる言葉ばかりが並ぶ歌で、気持ちがぐらぐらしたときに聴きたくなります。
私は大学で出会った友人と、少し先(1年や2年)先の自分へ、そして相手へ手紙を書きあっているのですが、
この歌を聞くとその友人や、手紙を認めているときの何とも言えない気持ちを思い出します。
2人で読み返すとき、色んな気持ちがわーっと湧いてきて、その瞬間もまたらなくしゃんとした気持ちになれるのです。

ああ負けないで 泣かないで 消えてしまいそうなときは 自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみは避けては通れないけれど 笑顔をみせて今を生きていこう